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地崎 宇三郎・二代(ちざき うさぶろう・にだい、1897年1月2日 - 1951年6月29日)は、日本の政治家、実業家。旧名・晴次。北海道札幌市出身。秋田鉱山専門学校中退。 ==経歴== 1919年に独断で大農法を試み失敗。勘当され各地を放浪したという。その後北海道に戻り、小樽市にて小樽定山渓自動車道株式会社を設立して小樽-定山渓間の有料道路構想を立てた。父の支援によって後の北海道道1号小樽定山渓線にあたる道路を完成させ、バス運行を始めた。1936年に父が没すると地崎組社長を相続し二代目宇三郎を襲名。小樽新聞社社長も兼任して同社の再建に成功、北海タイムスとの統合も実現させた。この頃、「間宮海峡埋立論」を唱えていたという。1939年札幌土木建築業組合副組合長、1941年北海道土木建設業協会副理事長。さらに長男地崎九一を地崎組代表取締役社長に据えた。終戦後は政界に入り北海道政治同盟を結成。1946年北海道から衆議院議員選挙に出馬して当選。進歩党(後の民主党)に所属し、野党連立のために奔走、1947年の片山内閣成立の影の立役者と言われた。民主党幹事長になるも、その5日後に公職追放。1947年~1951年まで地崎組代表取締役会長になり、晩年は東京で過ごした。1951年6月29日、公職追放が解けぬまま54歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「地崎宇三郎 (二代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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